視点

9月18日(金)晴れ

また暑い。

日記を書けない日が数日続いた。怪我をした目が痛いというのもあったけれど、心が不安定で、事実や気持ちがまとまらないのに何かを書くことの不安もあった。

詳しい経緯は書かない。ただ今、私はコンタクトを入れることができない。目の中で破損してしまったことでの痛みと、今更ながら目の中に異物を入れることの恐怖心、それから注文している今までのレンズは数ヶ月手に入らない、このコロナ時代の現実に直面している。

メガネをかけるとマスクがこんなにつらいのだということにも気づいた。本当、人の大変さなんていつも分かってない。気づいてない。

気を配ってるつもりで、のうのうと生きてるんだ‼︎

しばらく体調も悪く、聴覚過敏も出てきたので、今は良い時期とは言えないが、励まされる出来事もあり、何とか立て直そうと頑張っている。

なのにまた、ツイッターで、動物虐待についての話や写真があって、またズルズルと闇に引きずり落とされようとしている。これはだめだ。本当に…

正直に言おう。虐待をしてる人、その動画や写真を撮ってアップする人、たぶんその場にいたらわたしは、その人間を衝動的に殺してしまうだろう。昔から動物虐待者には、殺人者に対して抱く感情とは全く違う感情が湧き上がる。しかも滅多滅多に、そいつがやった同じやり方で苦しめて死に至らしめたいとすら思う。

そこに理由を探し求めるつもりも、改心もいらず、ただ憎しみのみでわたしは人を殺ることができる。それ以外で人に殺意を抱くことは今までなかった。その裏返しがいぬやねこを救うことであり、活動に奔走していた。せめてもの仕返しに動物をすこしでも生き延びさせることをしていた。

こういう現実の、この世界に生きている自分というものが嫌で。本当は、ものを食べて生きていることも嫌で。自分が死んだらこの世界を見なくてもいいし、罪に加担しなくて済むと思った時期もあった。そしてその思考は家族を苦しめた。

ハッピーな人生を送るためには、ある程度、無自覚に、鈍感に、深く考えることなく過ごすことだ。汚いものが無いものとして捉えられるようにしなければ、精神は壊れていく。分かっているのだが、たまにぶち当たる。

切り替えなければならない。わたしが今やるべきこと。大切にしなければならないこと。しっかりしなければ。

いつも、見えているところだけで生きている。視点のみ。

世界は、こうある、という真の姿は誰も捉えられない。