サウナとひらめき

6月3日(木)晴れ、くもり

休み。午前中通院。ただそれだけで疲れる。よく眠れないこと。日によってテンションが変動して困っていること。でも何か伝えるのを忘れていることだらけな気がして焦る。表情から先生は何かを感じ取ったようで、薬は大幅変更。次回は1ヶ月後ではなく2週間後となった。

このところ自分でもよく分からない不安定さに悩まされている。いや、もう半年以上ずっとだ。何か騙し騙し生きている感。

家に帰って来て横になるもリラックス出来ず。途中で母に電話したりもした。母にも促され、夕方から銭湯へ。

サウナは再開していた。この基準がよくわからない。緊急事態宣言は延長になって、サウナもそのまま使用禁止が延長されるのかと思いきや、6月から再開している。(他のお店もそうだ)全部要請を聞いていたらやっていけないということなのか?色々混乱、でもありがたい。

久しぶりに3セットがっつり汗をかく。休憩のたびにぐわんぐわんと襲ってくる波。解放とその隙間に入ってくる思考。どうしてか、サウナの所謂ととのいと呼ばれているトランス状態の中にはマイナス思考が入ってくることがない。皆無。今までない。

今日は、こうだった。

「しがみついているもの、執着していることを手放すと楽になる」

「無理に質問して(自分が納得するような)言葉を求めて得たとしてもそれはすぐに崩れ去って安心感は無くなる。本質的に良い関係性というのは、言葉で確認しなくてもただ良いまま続く」

「できるだけシンプルでいる」

そんなのが浮かんできた。自分は本当はわかっているんだ。それを歪めているのは他ならぬ自分なのだろう。保身のため、傷つきたくないため、くだらない予防線を張ったり、保険をかけたりしているだけだ。生身のまま勝負したらいいんだ。苦悩することを避けようとして罠に引っかかり、余計にこんがらがりもがくうちに深いところに引きずり込まれていくような日々だった。良いこと楽しいこともたくさんあったのに、それ見えなくなるくらい暗いところに落ちていた。ただ少し視点を変えるだけで、実は穴の中に落ちているのではないと気づけるはずなのに。

脳は不思議だ。温度差を与えただけでこれだけ変化する。複雑にできているくせにとても単純なものだと思う。

頭で苦しむ時は、思い切ってそこを無視して身体にアプローチをする、それだけでここまで変われる。というか、わたしが単純なだけかもしれない。

『きみの鳥はうたえる』

5月2日(日)晴れ(夜風強い)

誕生日。Kの弟にメール。Kの誕生日でもあるから。人は死ぬと命日ばかりになってしまうけれど、わたしはKの誕生日を生涯忘れることはない。いくら数字に弱いからといって。

今日は休みでずっと家にいた。本を1冊読み、映画を2本観た。

特にNさんからおすすめされた「君の鳥はうたえる」は良かった!

函館が舞台で、その排他的で閉塞した独特の空気にやられた。苦しい。正直懐かしさすら感じる。逃げても逃げても追ってくる。掴みどころがなくて、そばにいるだけで不安になるような僕。佐知子が、不安=ドキドキする=恋?と思ってしまうのもよくわかるし、その後、真っ直ぐな表現をする静雄に惹かれていくのは女が求める「安定」ゆえか?

濃すぎる日々もいつかは終わっていく。こんなのを何度繰り返したら人生は終わるのだろう。その後、「安定」するかなど分からず。静雄の母のようにフラフラな日々が待っているのかもしれない。全部が不安定で心許ない。そして、そういうモラトリアム期みたいな人生しか送れない自分に重ねてしまった。

函館の夏が短いように、彼らの夏もまた濃厚にして、あっさりと終わってしまいそうである。そしてまた次の濃厚さが待っているのだろうな。

憂鬱と共感

4月27日(火)晴れ

予定していた仕事が緊急事態宣言によって1つ消えて15時出勤。

最近、活動しすぎていたからとにかく体(頭)を休めようとお昼まで眠る。何度も目覚めてまた眠った。

心配事がいくつかある。いや常にあるのだけど、すぐ解決することではなくて、そして自分の手で何とかできることでもなくて、ただ考え続けてしまう。よく人から「悩んで解決するならいくらでも悩めばいいけど、悩んでも解決しないなら考えるのは無駄」と言われるけど、そうやって割り切った考え方ができるなら、もうそれは悩みではないんだよな。

気づいたら常に頭の中にある。だから眠ったり、酒を飲んだり、他のことに没頭したりすることで振り払っていくスタイルだ。もちろん、いい案があって、それがわたしの行動で変化するのであれば何を差し置いてでも動くつもりだが。

仕事は可もなく不可もなく、ダメな時期はダメな時期なりの形に順応してタイムスケジュールを組むようになった。ストレスあれど、まあこれくらいで済んでいるのだから良いかと思う。何より人間関係に恵まれていることが幸い。

夜、Nさんから電話。あまりにわかるわかるわかるわかると思い過ぎて、うまいこと言えなかった。それわたしが言おうとしてたことだから。ほかに何が言えようか。

わたしは力強い味方を得たような気分になった。Nさんが困った時はわたしも力になりたいと心から思った。良き友人に恵まれたこと、こういうのって縁だから、本当生きるために出会ってるのだろう。生き延びるために。

久しぶりに良い気分で眠れそうだ。

どうやって生きりゃいいんだよ!

4月26日(月)晴れ(意外と寒い)

朝(夜中?)に夢(むー)ちゃんから、夢の話ではなく、CBDにさらにTHCに近い成分が入ったリキッドが発売になったよと連絡あり。早速注文してみる(合法)。

CBD摂取するようになって、寝起きの良さは本当良くなった思う。眠気が来るというのはそこまで感じないけど、リラックスはできる。

早番。7時半には職場に着き、あくせくとやってる間に11時。仕事を終えて、セブンでお昼ご飯を買って帰る。

13時半過ぎ、ニコさんが遊びに来る。

なんかすごい本を借りた。読んだ時に、これはわたしに貸さなきゃ!と思ってくれたらしい。思いのまま好き勝手、自由奔放に生きて、最後は殺されるらしい。昔もこういう人はいたんだねーって。え、わたし、殺されるのか?…

とにかく、既成の枠にとらわれない生き方をしている人に魅力を感じる。型破りな人。破天荒な人。(たいてい最後は自殺。いや、生き抜いたんだろう)

あれやこれや、ニコさんがネットワークビジネス的な何かの勧誘を受けた時の違和感、美魔女になりたくない、巻き髪やら体のラインの出る服装、ヒール嫌だ、金持ちが苦手、奢られたら嬉しいより先に何でも要求飲まなきゃいけないのかなというふうに思っちゃう話とか、最終的に、人生どうやったら楽になれるのよ?もう信仰だよね?ある種の宗教?それしか生き残れないんじゃない?けどそこまで盲信できないんだよね、飽きっぽいしさ、という話とか。恋愛とは?結婚とは?世間とは?!!!

語りきれない議題問題だらけで、最後は2人で唸っていた。

夕方、駅までニコさんを送って行く。駅前はいつの間にかどぎついピンクのツツジでいっぱいになっていた。

こんなんだったっけな…。季節が知らぬ間にすごいスピードで進んでいたか、注意力不足。気持ちが浮ついてて、花なんて見てなかったのだ。

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また日常

4月25日(日)晴れ、東京

日常が戻った。起きて洗濯をしてご飯食べて、少し眠って仕事へ。もう東京の匂いもしない。

いつも道を歩いて電車に乗ってまたいつもの道を歩く。音楽を聴きながら。音楽が無かったら、どうやってこの思いをなだめていけるのか、想像がつかない。聴いているから、ギリギリのラインで動けている。

行きは暑かったのに、帰りには強い風が吹いていて寒くなる。東京は今日から8時消灯とかで、街灯以外は消されるとのことだったが、わたしの職場と家は元々街灯しかなくて、何の影響も無かった。

明日は早番。そして友達が家に来る。部屋の片付けもしていないけれど、6時起きが不安すぎるので早く寝る。感情を揺れ動かす全てのものを排除したいと思う時と、揺れ動いているから楽しく生きられるのだと思う時があって、今は後者。安定など求めない。…たぶん。

東京の匂い

4月24日(土)晴れ。函館→東京

午前中、父は起きていた。体調はすこし回復傾向のよう。でも不安も大きいらしく涙ぐむような場面もあった。苦しみは本人にしかわからない。ずっと側にいる母もまた別のつらさを抱えているだろう。人を支えるとはこういうことか、と母の姿勢を見ていて思った。果たしてわたしにそれができるだろうか?

入院なんてしたら、今はコロナの関係で面会すらできない。そうなると、父はどんどん弱っていくだろう。だから家で過ごすのが一番なのだと思う。わたしもなるべく暗くならないように、普段通りに接する。

わたしはたぶん苦しみに寄り添えていない。だって頭の中では、早く東京に戻りたいと思っていたのだから。自分の生活のほうが大事なのだ。自分が東京で何を感じ、何に悩み、誰と会って何をする話す、そのことの方に頭がいってしまった。もしくは、あえて現実を見ないようにして、気を逸らすために苦しみの論点をすり替えているのだろうか。分からない。

お昼過ぎ、ガラガラの新幹線に乗る。頭を巡る様々なことがしんどくて、眠くないのに無理に眠る。でもマスクが息苦しくてハッと起きてしまう。最近、この酸欠みたいな症状が多くて困る。仕事中も、人がいないところでマスクを外して空気を思いっきり吸っている。きっと、同じような状態になっている人は沢山いるのだろうな。自由に息が吸える場所に行きたい。

東京駅に着いて、新幹線を降りた瞬間空気の違いに気づく。思わず、マスクから鼻だけ出してみる。匂い。東京の匂いがした。都会の空気の匂い。それがなんだか愛おしいようにすら思える。東京ではわたしは自由で、誰にも干渉されず、自分が決めたことを自分の好きなようにやっている。他人だらけで、わたしに誰も関心を持たないことも気楽な要素だ。たぶん東京の匂いを嗅いだ時、その何もかもから解放されていいというのを感じ取るのかもしれない。

匂いはすぐに消えて無くなった。匂いは常にそこにあるのだろうが、わたしの方が完全に溶け込んだ瞬間に匂いに包まれて、何も感知しなくなる。中央線に乗り換えて、西国分寺駅で降り、タクシーに乗って帰った。わたしの部屋はわたしの安心する匂いがした。でももうしない。溶け込んだからだ。