友達との時間

午前9時に目覚める。洗濯をする。10時半にニコさんが来る。最近は最低でも月1くらいは、うちに来てもらってお昼を食べてあーでもないこーでもないと、べらべらと話し、ギャーハハハハと笑ってストレス解消する会をやっている。リラックスというよりは、せわしなく、いろんな飲み物を飲み、お菓子を食べ、本を開き、ネットを見て、喋りまくっている。今回は見せたかったテレビ番組(ハートネットTV精神科病院でのクラスター発生と治療…その人達の人生のこと)を見てもらってるうちにお昼ご飯の仕上げをした。

途中でスコーンも作ったり。本当は、音楽を聞いてゴロゴロして、それぞれ思うことをぽつぽつ話すとかもしたいけど、何せ言いたいことが溜まり過ぎてそうもいかない。

思い出話もよくする。私にとっては、都内だけど、2人で旅のようなことをしたのが本当に嬉しかった。家に帰らなくていいから時間を気にする必要もなく、温泉に入ったり、部屋に戻って語り合ったりしたこと。コロナ騒動で、次に旅できるのはいつになるか分からないけれど、落ち着いたらまた2人で旅をしたいなあと思う。旅というか、ただダラダラ休まる非日常がいいなーと思う。家事すべてから解放されることが大切。

コロナのせいで、いろんなものの価値が変わった。会社の歓送迎会は無くなり、付き合いで酒を飲むこともなく、そういう支出はゼロになった。出かけたからと何となく入ったお店で、そんなに納得する味ではないランチに払うお金もゼロ。今まで当たり前のように払ってきたのがバカらしいような気がした。もちろんかわいいカフェでお茶したいけど。その時間も大切だけど。でも何だか前の感覚とは違ってきた。本当に必要なものに、大切にしてることに、これからは使いたいなあと思う。

またあの日常が戻ったら、あっさり価値も戻ってしまうのかもしれないけど、この感覚は忘れないでおきたい。

そして思うのは、どちらかが先に死んでしまう。家族、夫婦、友達でも、きっとそうで、なんか、それを考えると途方に暮れる。何か面白いこと、これ、この感覚、この人に伝えたい!ってことを言えなくなる日がくる。「この感覚」を分かってもらえる人に言えない苦しみは相当なものだろう。

こんな時代だから、なんかそれを強く思う。昨日『食べることと出すこと』を読んでいても、そう思った。自分にだけはふりかからないということはない。病や事故やそれ以上のことだって。こんな酷い時期でも、今がものすごく大切な時間なんだと。

楽しまなきゃね。

最近、笑うことが多くなった。数年前に比べては倍以上。コロナ禍に入り、深刻な気持ちになったけど、それでも面白いことはたくさんあるし、暗い世の中で、先も見えない不安の中、あえて笑いを捕まえにいこうという気持ちになっている。

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