悲しい事件が多いけれど、うまく言葉にできないので。

140文字でキッパリと自分の意見をまとめる技術がない。誰にでも分かりやすく、すぐに届く言葉を持たない。あの中で人の心を数秒で貫く言葉を持つ人はすごいなぁと感心する。みんなが、共感して、そうだそうだ、と思う人たちがボタンを押し続け広がり続ける世界。本当は私だって言いたいというか、伝えたいようなこともあるんだけど、あるのかな、本当かな。

たぶんそれもう誰かが言ってることで、私が伝えなきゃいけないことではないかもなと同時に思う。

最近、障害者関連の事件、社会に対する問題提起が多い。そのたびに言葉を探すけれど、やっぱり自分が発言しなくても、他の人がちゃんと発信していて、ああ…と思う。もちろんそんなんじゃ足りないんだけど、大切なことがまとめられている。

今日のニュース。大阪で、一人暮らしをしている30代の男性が、自治会での役割分担というのか、自治会の仕事を依頼され、でも彼は障害があり「おかねのけいさんができません」とか、自分のできることには、○、できないことは、×をつけ、しっかりと自己分析し、自分について説明をしたひらがなの文章を書いたというか書かされた。それを他の近所の人たちに見せると言われ、翌日自殺した。要するに、障害のため、自治会の仕事はできませんという証明をみんなに対して行うということだったようだ。

このニュースを聞いてものすごく悲しくなった。でも言葉が出ない。140文字で書けないのだ。

彼は、自分が何ができて何ができないのか分かっていたわけで、苦手なことは(お金の計算とか)引き受けられないという真面目な気持ちで断りたかったのだ。でも、それをみんなに報告するということ、知られるということがつらかったはずで。世の中の大多数の人が当たり前にできることを自分ができていないという恥の気持ちだったのではないか。

どうしてこんな大人になって、地域でいじめのようなことが起きてしまうのだろう。自治会の人も、それなら他でやるからできることを、とか、この業務を一緒にやりましょうとか、提案するのが本来の姿ではないのか。

(単に、障害者だから仕事を免除、というのはまた違うと私は思っている。みんな社会で役割を持つ、排除しないというのが当たり前のことだ)

彼には親兄弟もいて、でもそこで一人で暮らしていて、それだけでもすごいことなのに(計算ができないということは、生活と直結しているから)、こんな形で自信を喪失させ、命を奪っていく社会が憎いと思った。

施設が存在し、管理されて生きている人たちがいることも、地域で一人暮らしをしていて、でも支援が行き届かないことで失われる命があることも、全部悲しくて憎い。

私はどうしたらいいのかと考える。とにかく、障害のある人の健常者から「されてきた」歴史、障害者運動や差別、偏見、いまある現実を知ること、そして、ひどい世界を変えていくために、できることを、とにかく考え、行動していくしかない。本当に地道でも。

久しぶりにMDノートを買った。それに大切なことをまとめていくつもりだ。

私は、まず目の前にいる、いつも仕事で関わる人たちにどう接していくか。しっかりとした軸を持ちたいと思った。絶対に変わらない核となること。もちろん、相手によって様々だけれども、人権擁護というのは、絶対に当たり前にあるべきもので、何を差し置いても、揺るがないものだ。考え、悩みながら紙に書き綴っていきたいと思う。

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