やまゆりの人たちを思う

よくわからない4連休、Go Toトラベルキャンペーン(都民除く)中の日本。新規感染者は増えていく。昨日も今日も家にこもる。雨降りのほんの隙間で近所のコンビニ。ハーゲンダッツのストロベリーがこんなに美味しいなんて知らなかった。なんで今まで食べなかったんだろう。

今日は7月26日。津久井やまゆり園での事件があって4年だ。

数日前に医師2人がSNSで知り合ったALSの女性を嘱託殺人、そしてRADWIMPS野田洋次郎による優生思想丸出し発言。示しを合わせたかのように、命が選別されていく世の中があからさまになる。やまゆりの犠牲者たちは何を思うか。きっとこれからコロナ感染の医療現場でも命を選んでいかなければならない事態になってくるのだろう。今私たちに突きつけられていることだ。

私は、この間、小沢さん(職場の先輩・年上の男性)から言われたことをずっと考えていた。自分は差別してない、向き合っている、そう思って、思い込んで、仕事をしてきたけれど、どこかでみんなのことを下に見ていたのだろうか。それは隠したところで態度に現れるもので、心の底からみんなを尊重していないと厳しい局面で大きく崩れることになる。これは自分でも、本当に考えれば考えるほどよくわからなくなってくるのだ。認めたくないというブレーキがどこかで働く。

いつも思っているのは北風と太陽みたいなので、強制することに人はなびかないし、本人が自発的にやりたいことは無理に押し付けなくても動いてくれる。その声かけ、そのきっかけを支援と呼んでいるだけで、なんでもやるのは本人。アドバイスや助けを求められたら私の考えは言う。でも、その通りにしなくていい、自分が思った方にしてほしいと常に言ってきた。選択肢はある、でもそれを指示するのは違うから。

でもな、やっぱり自分も時間内に、次の他の誰かに迷惑をかけないようにと、利用者を急かしたことはある。他のスタッフに迷惑をかけることを心配するより、本人を意向を優先させなければいけないなと思う。

こんなことを考えているからか、よく夢を見る。自分の差別感情に失望する夢。障害者から疎外される夢。私はものすごく反省をしているのだと思う。自分を情けなく思い、責めているのかもしれない。だけど、ここを乗り越えないと真の意味での支援者にはなれないだろう。小手先だけの、口先だけの「支援」では乗り切れない。みんなちゃんと見ている。私がどんな人間かを見透かしている。口には出さないだけで。

いったい今まで何を経験し、学んできたのだろうと情けなくなる。みんなの権利を守っっていかなければならない立場なのに。権力はゼロなので、要求は上に伝えるだけですぐに解決することすらできなくて情けなくなることも多々ある。それを、責任を取らなくていいと考えれば「楽」だし、なんの助けにもなれないと思えば「無力」だ。

今日はこんな愚痴を書くためにパソコンを立ち上げたつもりはなかった。

ただただ、やまゆりで暮らしたみんな、亡くなった人や怪我をされた人、家族、職員のために心を捧げようと思っていたのだった。

あの頃私は他のグループホームで働いていて、一人で夜勤をしてたから、もし「植松」が侵入してきたらどうやってみんなを守ろうか、と想像した。でも、事件の時の情報や感情は曖昧だ。テレビも見なかった。その頃、自分の精神状態は最悪で、さらに慢性的な睡眠不足のため、記憶も飛び飛びだった。事件と向き合うことを避けていた。考えれば考えるほど、自分が働けなくなる気がした。でも、そのことは尾を引いた。当時、しっかり向き合っていなかったことの罪悪感が常にあったし(特にこの仕事をしている人は、それが何だったのか、考える責任があったと思う。そして障害者支援の仕事をしている以上一生避けることはできない話だと思っている)、仕事をやめてからもその事件に心が刺激されることがあった。消化できない、今も消化できていない。むしろ、いろんなことが蒸し返されている。あれは特殊なことだと主張する人もいる。市民は関心ありません、と。その時私たちは市民からすでに排除されている。でも、世の中で行われていることは、出生前診断、障害がわかったらほとんどの人は中絶を選ぶらしいし、介護疲れによる家族間殺人、より良い遺伝子を求めての婚活に、コロナに関して言えば感染差別、最初は中国人差別、最近は東京差別も起こっている。

なんかもう、いろいろ疲れるなあ。何やってんだろうな。私たちはずっと。一つ一つのことに心を砕いていくと本当に潰れてしまいそうだ。

世界をやめたい。

ふとそう思うことがある。しかしそんなことが許されるわけもなく、ただ、鈍感になったり、他の世界に逃げ込んだり、眠ったりしてなんとかやり過ごしている。

でも!私は考え続けなければならないし、変わっていかなければならない。

そうでないと、あの時失われた19人の方々に申し訳が立たない。