午前3時の破局と妄想

最近、午前3時を過ぎないと寝つけない毎日で、それだと午前中には起きられないわけで(寝たら9時間は寝たい、不眠なのに寝過ぎのおかしな人間)、今朝も代引きの荷物が届いていたのにぐっすり眠っていて(午前8時台)まったく気づかず不在通知が入っていた。申し訳ない。やっと11時に起き出して気づいた始末。なんてこった。

世の中が全部ひっくり返ればいいのにと思うことがある。夜の8時が今の朝8時で、みんなが働き始めるのが夜の9時。朝6時に終わって帰る。もう少し前倒しでもいい。とにかく夜が主役なら、私は毎回宅配便の人や、電話が鳴ることにも気を遣わず、当たり前の時間に買い物も出来て、定時で働くこともできる。そんな妄想。

眠れない布団の中であれこれ考え始める時間が一番苦手だ。次の日の仕事の不安。予定がある時は起きれるだろうか?と悩むし、過去の失敗や後悔を反芻しては溜息と失望。何でこうなってしまったんだろう、とか、もうみんなは私のことなんて考えてないだろう、ありとあらゆる人から大事にされてない想像。「つらい」「しんどい」「しにたい」という言葉が勝手に頭をぐるぐるする。でも、いったん眠りについて起き出すと、それは収まる。だから、なんとなく、だらだら生きていられる。

うまくいく人生なんてあるものか。

みんな、何かしら抱えながら、でも踏ん張って生きてる。(と思う。ほんとはわからない)

客観的に考えて、自分だけがつらいわけではないし、生きてる全員が何かを抱えてる、はず!いや、でもな。わたしはわたしである以上客観視はできない。最初から客観の入り込む隙もない。私が思うのは感じるのは主観に他ならないから。

最近、好きな作家の本、興味関心のある分野の本等が出過ぎで、心が追いつかない。整理がつかないうちにまた重なってくるから、わたしも溺れそうになりながら読んでいる。才能に圧倒されて、ずっしりと腹に残る。

最近だと、こだまさん。人生に起こる苦難をあんなテンポで本人は真顔(イメージ)で淡々と書き連ね、それを読むこちらは吹き出してしまうという、不謹慎極まりない読み方をしてしまうのだけれども、あのセンスはやばいでしょう。インパクトありすぎて、誰も勝てない。勝負を挑む人間も現れないし、勘違いした「女」が完敗しそうな作品である。

 

さて、芥川賞候補になっていたときに、『愛がなんだ』の今泉監督が書評なんていうのを書いていて気になったのが遠野遥の『破局』だった。監督は普段そんな本は読まないらしく、面白くなかったら書きませんよってスタンスで仕事を受けたが、これが一気読みしてしまったという。「変な小説ですよ」とリプしてくれたことがあった。それで気になってしまい、受賞後の品薄の中、川崎ラゾーナまで行き、手に入れた。芥川賞って商業的で、話題性重視で、奇抜な本を選びがち…とか、うがった見方をしていた昨今だったが、これが…監督みたいに引き込まれて止められなくなった。帰りの電車から家に着いてもご飯も食べずに読み終わった。

普通の大学生のアスペルガー要素が濃い。一つ一つが意味深であり、伏線かもしれないけれど、ただほんとにそう思っただけかもしれない。本人のインタビューを見ていたら、たぶん、わざと作ったわけでなく、自然と出てきた不自然だったようだ。不自然と感じるのは、頭の硬い定型。違和感が散りばめられてるのだけど、何でか同時にわかるわかるとも思ってしまう。それは、自分の中にあるのか、外にあるものを見てきた結果か、とにかく怒涛のワールドなので、そして、女。愛想よくて優しく気遣う男子より、こんな無表情で性欲の強い謎の人(本人は至って真面目)に惹かれる気持ちはよく分かる。ハマっていくのが目に見える。それで、なんていうか、この作品を通してずっと、私はどちらの女の子の立場にもなれず、ただ両方に嫉妬して、そして、同時に両方の女の子にもなっていた。

ゾンビ、私は哲学的ゾンビという概念をずっと意識しながら読んだ。他人は自分と同じような心を持っているのかどうかなんて誰にもわからない。心を持っているように演技しているだけかもしれない。考えていくととても怖い。

もしかすると、存在しないものをあると認識してしまい、全ては妄想に過ぎなかった、そんな人存在しなかったかもしれない、とも感じるみんなのそれぞれの人物像、思いの薄さ…。ぞわぞわ。そして、終わってしまった寂しさが、何日も続いている。はやく次が読みたい。その前に前作『改良』!

 

破局

破局

 

 



 

(という、真夜中に書いたやべえ文章を、読み直して、すこしだけ直して、アップしておく)