ホットケーキ、クラスターフェス、生きるとか死ぬとか

暑い。

午前9時。やっちゃんからLINEが来て起きる。朝ごはん作る。目玉焼きとサラダ、イワシのつみれ汁。やっちゃんがは取引先の人と出かけるらしい。準備をして11時には出て行った。私に言われ掃除機をかけてくれたのはいいが、その後にダンボールを倒したりして、そのダンボールから出たトウキビのヒゲが散乱していたのをいなくなってから気づく。クイックルワイパーをかける。二度手間。何でいつもこうなるんだ…。

土日休みの友達に連絡。一人だからうちに遊びにおいでと言ったが、友達はどうやら街で遊びたい様子。「外に出られないの?」と尋ねられたが、断ってしまった。私の職場のすぐ近くの施設で感染者が出たばかりだ。通達が来ていて職員間に緊張が走った。明日は我が身、とみんな思った。何かあったら、マスクに防護服のフェイスシールドで介護しなければならない。しかも家族と暮らしている人はホテル住まいで職場に通うことになる。

それを想像しただけで、ちょっとの緩みでウィルスを持ち込んだら、恐ろしいことになると、すぐ想像してしまう。口に出してはどうか分からないけれど、心の中でめちゃくちゃ責められそうで怖い。

身の回りに重症化のリスクある人がいない人が羨ましい!と、思ってしまった…。気軽に買い物やご飯、お茶もできずに何年も過ごすことになるのだろうか、私は…。きっと、友達ともその生活様式の違いゆえの溝が深まっていって、少しずつ疎遠になるのかもしれない。その前に私はこの仕事を辞めるだろうか?それは今は考えられない。

何だかしんどいな…。

コロナは人間の分断を生んでいるけれど、きっとこういう些細なことでもこれからさらに分けられていくんだと実感した。強い気持ちを持たなければ。流されてはいけない。命にかかわってしまう責任感。福祉施設ですらこうであれば、医療職の人たちはどんな気持ちで他の職業の人との人間関係を維持しているのだろうか。想像を絶する。

お昼、佐渡バターが届いたばかりで、食べてみたくてホットケーキを焼く。バターたっぷり乗せたけど、もっと食べたくて追加。美味しすぎて、何を言っていいか分からないのだけど、ホットケーキを残してバターは全部食べた。

午後は読書。読みかけの本。『安心毛布』読了。『発光地帯』からちまちまずーっと読み続けてきて、身に染みついているような本。たくさん、ああー、それそれ。うー、と何度も唸りそうになった日々よ。その後、村上春樹の『猫を棄てる』も読む。

ツイッターを見ると、クラスターフェスなるものを渋谷でやってるとか。マスク無しで密になろうっていう反体制どころか、テロみたいな行為。音楽をやったり、山手線一周もするらしい。狂ってる。

医療はどうなるのだろう。志村けんは何故死んだの?あなたたちはかかってもただの風邪で済むかもしれませんが、他の人を殺すことになることは良いのですか。

戦争が無くなった日本の新たな戦争。

その情報をやっちゃんに送ったら早めに帰るとの連絡あり。

心底東京が嫌になった。

青森では自粛警察が、東京から帰省した人に嫌がらせのビラ。

田舎も怖い。

結局、何処にいても、生きることはつらい。どんな時代も。

川上未映子のエッセイの中にもあったけれど、新たに人間を生み出すことの怖さ、そこまで自分がその世界、人間に関与して良いのか分からない時期がずっと続いた話。(結局彼女は35を過ぎてから産むことになるのだが)反出生主義というと、とても強い言葉になり、恐ろしく感じる私だが、人間が生まれ、苦しみ、苦しめて死んでいくことに、自分が関わることを放棄した人間として、今はこれで良かったと身勝手ながら思う。(どちらが身勝手なのかは本当は分からないが。生まれさせてくれと懇願されて産む人間はおらず、いつだって出生は親のエゴだから。欲しいという、顔が見たいという…。望んで生まれた人はただ1人としていない事実…。生んで育ててやったんだから感謝しろ!という親、そんな人間にも出会ったことがあるからなおさら、色々な思いが込み上げる)

生まれた人が、できた命が消えるのは悲しい。でも、無いものは最初から無いのだから、かわいそうではない。痛みも苦しみもない。

「このつらさは、私で終わらせるからね」と居ない子や孫に言うような気持ち。

 

*しかしながら、今日の嬉しい出来事!

茂木健一郎さんのツイート(『破局』の感想を、ものすごい知性を持ってして解説してくれた)を見て、すぐ感想を書いて引用リツイートして、フォローしたら、茂木さんがすぐフォロバをくれたこと。素直に嬉しい!!