ゾンビの夢とカルボナーラ

ただの土曜日。土曜日は朝早く目が覚める。「蓮見孝之まとめて!土曜日」(ラジオ)をリアルタイムで聞きたいと思ってる脳が勝手に覚醒するらしい。今日は6時くらいに目覚めた。なにせ9時間は寝ないとスッキリしないもので、たぶん5時間くらいしか寝てないのだが、ベッドの中でじっと待つ。直前までゾンビになる寸前の夢を見ていたので、ラジオを聞きながら現実に(人間に)戻る。何だか夢ではいつも疲れている。遠野遥がインタビューやラジオでも言っていた「追われる夢」。夢なのだからもっとうまく逃げてもいいはずなのに、どんな手段を使っても必ず見つかってしまう。その後何をされるか分からないまま目覚めるという、それ、私も全く同じで、昔から繰り返し見ている夢の一つである。あれは一体何から逃げているのだろうか。自分の頭の中、私しかいないはずで、やはり私は私自身の何かから逃げていることになるのか。

今回のは、何か動物に噛まれたことで、自分がゾンビになってしまう、まだなってないけど、それを察知して逃げるのだ。その間に医者にも行くが、相手にされない、信じてもらえない、高校時代からの友達に電話するが、要領を得ない。かくまってほしいと、伝えたいのだが、なかなか繋がらないし、繋がっても切れてしまったり。死んだはずの友達もそちら側に居るようで、声も聞こえているが、決して話すことはできない。私はその仲間に加わることはできない。諦めてどこかの建物にある風呂場にこもるのだった。しかし今思うとそれは私が幼少期を過ごした家の浴室の空間に似ている。普段思い出すこともないあの家だ。それもやはり脳は記憶していて、意識せずとも出してくる。

ラジオを聞いて正気に戻った。

現実のニュース。新型コロナウィルス、政治、戦後75年、インドで航空機の着陸失敗で機体が半分に割れた。死者も出ている。

途中で起き上がり、洗濯を始める。朝食の準備もして、洗濯を干したり、ごはんを食べたりしながらラジオを聞き続ける。終わる。次の番組。聞いてるうちに眠る。起きる。お昼。また何か作る。食べる。本を読む。眠い、すこし横になる。そして、夕方、予約してあったうしろシティ阿諏訪さんの料理教室参加。

カルボナーラと手作りドレッシングサラダ。そのうちにやっちゃんが帰って来て、料理が完成してすぐ食べた。

MIU404(ドラマ)の録画観る。その後もだらだらとテレビ。やっちゃんの好きなクイズ99人の壁。歌の特集だった。懐かしい曲やらたくさん。ミスチル聞きたくなる。ドラマとかも懐かしい。なんか、過去のドラマ、こんなのあったなぁと思うと、その当時の自分の精神状態と重なって、切なくなる。楽しかった時期でも、ああもうあんな時代ではないんだと寂しさを覚える。きっとそれが年をとったということなのかもしれない。先への希望よりも、過去が楽しかった記憶ばかり。でもきっと今日の料理教室なんかのことも懐かしく思い出す日が来る予感。

常に今が新しい、若い。なのに、忘れる。もうずっと、年をとったなあと思い続けて生きている気がする。20代の頃からだ。分からないのだ。まだ体のどこが痛いとか無いし、老眼にもなってない。でもいつも死以上に老化に対しての恐怖がつきまとう。それは、間接的に死への恐怖なのかもしれないが、痛くて動けないとか、食べたいのに食べられないとか、きっと何か、今までできていたこと、無理がきいていたことが、全くダメになることのショックが怖いのだと思う。今は、真夜中にカツ丼食べられるくらいの感覚は10代の頃と変わらずあるけれど、いや、食べない方が良い、私は、夜な夜なものを食う癖があり、これは本当に良からぬこと。体にも心にも。でもなんていうか、そういう無茶ができなくなることの喪失感というものもあるだろう。

友達から『破局』読んだよとのメールをもらう。神経質な感じがしたとのこと。確かに。こだわりは多々ある。そしてルーティンもいつしか飲まれていく感。徐々に歪んで壊されていく、裂け目に落ちていくような。

破局』にもゾンビが出てくる。私はそこにこだわってるし、今の社会が「感染者」を見る目はゾンビを見るそれのような気もする。

腹が減る。

寝なければ、と思う。