微熱の日々を越えて。これからどうすりゃいいんだよ!

36.3℃。久しぶりの体温に驚く。微熱に疲れていた。体調が悪いわけではない。ただ37℃以上ある体温計を見ることに疲れたのだった。抗生物質を飲み終わったら下がったところを見ると、これはやはり「薬剤熱」っていうやつだったのかもしれない。(気になる方は調べてね)

 

この間友達とあれこれ話してSNSとの付き合い方というか、SNSに割く時間の無駄と感情の揺れ、すり減りみたいなことが勿体ないよねって言ってて、本当にそれを何とかしたいと思っている。最近本当に。欲しい情報を得るために余計な(心をかき乱す)情報を何倍受け取らねばならないのか。そしてそれに麻痺していく、それが当たり前だと思わされていく、一体この思考は誰のものなのか、ということ。

私が考え私が動いているのか?

もっと主体的な時間を増やしたい。いろんな人の意見を読むのも良いけれど心がざわつくことも多い。知らないでも平気なことがある。そしてその時間を読書に当てたら良いのになあなんて。ようは振り回されずに、適度な距離感で接することができたら有益なのだけど…ということなんだが、それが何やらうまくできないことも多い。

友達は寝室にスマホを持ち込まないと決めて実践しているらしい。それだけでもだいぶ違うよなあ。眠れない時に考えることなど酷いものばかりだ。

今はまだキッパリと辞める決意はできてないけれど、今後の人生がずっと左右されるのはもったいないなーと思った。

ツイッターなんかから完全に距離を置いている人もいるけれど、知ってる前提軸が全く違うものだから会話が噛み合わないこともあるし、それをいちいち、「最近こういう雰囲気でね…」と伝えてもうまく伝えられる自信もない。これは空気だから。

けれど、どっちが良いとかではない。ただ今、この瞬間の空気、見ている世界をちゃんと共有できない感覚というだけ。だけって言っても通じない感はあるから同じ時代に生きてても異世界ではある。むずい。

それは、ツイッターしててもタイムラインによって違ってくるし、結局は見たいものしか見ないわけだし、何かもうどうでもいいといえばどうでもいいのかもしれないが。

それにしても、私はそこまで、「情報」を欲しているのかどうか?

自分の心からの判断で選んでいるのかどうか?知らぬ間に心をジャックされていないかどうか?そんなことをずっと考えている。

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今日も夕方に少し散歩。早歩きで。汗をかく練習みたいなもの。本当に30分とかそんなのでいい。それで帰ってシャワー浴びるとさっぱりとする。冷房と空気清浄機をかけた部屋を閉め切っておいて、バーンと開けて入りベッドに倒れ込む爽快感をむさぼる。素晴らしい。これ何かに似てるな…。ああサウナと水風呂?

今は少し遠慮しているけれど、もう少し、自分の中でゴーサインが出る時期になったら行こう。本当ディープなリラックスを味わおう。なんか、その時は思いっきり贅沢しちゃおうと思う。アイスとかも食べたり。(ささやか)

この見えない抑圧された空気は変わらない。でも、非日常が日常になった日々は続く。慣れちゃうんだろう。私たち。きっと。放射能のように。ずっとあるけど無感覚になっていくんだろう。

さ、今日は全快祝いの、仕切り直しだ。雨がざんざん降っている。色んなものが綺麗に流されて、消えてしまえばいいのに。

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