やりたかったこととか。

8時半くらいに起きて、トースト、ベーコンエッグ、ミルクティー。13時にやっちゃんと一緒に歩いてユニクロとか本屋に行った。このコロナ騒動の中では1人行動が基本だったので、2人で出かけるのは久しぶり。夏用の部屋着やオーバーサイズのTシャツ、要するにだらだらした服など新調する。本屋はあまりに混んでいた。併設するカフェもお客さんでいっぱい。みんな自粛疲れか。空いていたら冷たいカフェラテでも飲みたかったが、やはりまだ人の多いところで飲食する気分にはなれず。またマックで明太子チーズのチキンタツタを買って帰った。

白い巨塔』をCSで観る。なんと全21回!3回くらいから見始めて、途中昼寝もしてしまい、気づいたら夜で、サラダうどんを作って食べてまた続きを観る。

人間の強欲さについて考える。私も相当欲深い人間だが、それは仕事に対して発揮しないで生きてきたなと思った。

どこでつまずいたのか分からないが、なんといっても地位を手に入れるためには必死で働かなければならず、まずそれが苦手であり、働き続ける体力もなければ続ける意欲が無い。たとえ熱意があっても体が動かない。朝起きられない。体力がないから、先々まで頑張る責任持てない、よって、アルバイト生活しかできないっていう人生。こんな人、あまりいないかもしれない。みんな我慢して働いてるんだ!

わかる。

でも、なんか出来なかった…。本当なら何か成し遂げたかったんだよね。20代のうちに。とか思っていた時代もあった。やろうとしたこともあった。

本当に、年齢も、体力も、能力も、お金も、才能も関係なく、何でもやれるとしたら何になりたかった?と、やっちゃんに聞いたら「漫画家」と言われた。

私は…「獣医さん」と答えた。

うちのねこ達を無償で救ってくれた獣医さんのことを最近思い出す。

保健所からその時いたすべてのねこ15匹を連れ出し、その動物病院に行った。最初は怒られた。責任持てるのかと。私は泣いた。

先生は、保護した動物に対しては治療費を取らない人だった。今も活動されている。

あのとき、殺処分場で食事も与えられず段ボール箱に詰め込まれ、蓋をされたままだった子猫たち。低体温の子から死んでいった。家で世話できる子を連れ帰り温め、生まれたばかりのまだ目の開かない子は1匹だけ生き残り、朝も夜中も関係なく2時間おきにミルクを与えた日々。その後も犬も引き取っては里親さんに引き渡した。なんか今では全部夢の中で動いていたみたいだ。寄付してくれる人もいた。本当はもっと、ずっと、みんなを助け続けたかった。でも、現実は厳しすぎて、助けても助けても捨てられる命が次々に現れて、しまいに保護する場所も心も追いつかなくなってしまった。家族との軋轢も大きくなり、私は動けなくなった。20代のあの時期を思い出す時、無力感と絶望感で胸がいっぱいになる。世界は変わらないって思った。とても悲しかった。

なんか、そんなことを一気に思い出す。

23時。体温はまた37.0℃になる。結局、微熱からは解放されていないみたいだ。

f:id:seka1co:20200608001031j:image