祭りのあと

10月18日(日)くもり、まあまあ寒い。

早く寝過ぎたせいで、5時前に起きてしまう。これがまた1日が長くてたまらない。目が覚めているということは意識があるわけであり、意識があるっつーことは、ずっと心が何かに支配されてるわけで。何故、それを支配と考えてしまうのか。それは、考えを振り払えないからである。自分が意図して考えたいことを考えているわけではなくて、ただただ囚われている状態になってしまう。

わたしはわたしだ、もう何も影響されまい!と思えたらどんなに良いだろう。でも、大抵の人は、社会の中で(家族もだろうけど)人間関係をやりながら生きている。これ、実はとてもありがたく、そしてしんどいことで、そして生きてることの本質だ。他者があって初めて自分というものが何なのかと考えられるわけで。

高野悦子二十歳の原点』の中にも

独りである自分を支えるものは自分である。
人間は他者を通じてしか自分を知ることができない。悲劇ではないか。

とあった。

わたしは毎日、生きてることが何なのか、生きるしかないのか、と自問自答して、とりあえず、迷惑かけたくない、親を悲しませたくない、痛いの怖いな、くらいしか考えられないのだけど(これを家族が読んだら悲しむ)、本当、一瞬の気楽さとか喜びを除いた残りの純粋な部分は辛さでしかなくて、実現したいこともなければ、もしその時思っても自分を信じることができないのだ。

高揚と落胆を繰り返すことに疲れ果てた。

飲み会は楽しくても次の日が恐ろしく落ち込むから、飲み会そのものを避けたい気持ちになることもある。ライブが楽しみなのに、帰りの寂しさを思うと行くことを断念してしまうこともあった。そういう人間なのだ。

とにかく苦しい。

楽しみが存在することで次に起こる落ちる感覚がつらい。つねに祭りのあとを体験している。みんなこれにどうやって折り合いをつけていふのだろう?むしろ、この感覚は正しいのか。一般的なのかも分からない。

わたしは、人にどう思われているかもものすごく気にする。あとで確認すると相手はなーんも考えていないことが多いのだけど、嫌われたかも?迷惑だったかも?厚かましかったかも?とずっとずっと引きずってしまう。

どうしたらいいのか。そんなの人に聞いてわかることでもない。勝手に解決しろなんだが、毎日がつらい。