嵐の日のみらいめがね

何となく疲れていて9時半に眠ってしまう。そのため、目が覚めたのが午前2時。それから眠れなかったので熱いミルクティーをいれたり、お菓子を食べたりしながらジャズを延々と流してぼんやりと薄暗い時間を過ごした。イメージ的には夜10時の都会のカフェみたいな。5時半くらいには朝食を準備して食べた。7時から布団の中で蓮見さんの「まとめて!土曜日」を聞く。そのうちまた眠ったみたいで「ナイツのチャキチャキ大放送」の音楽で目覚める。

外は大雨。フェリシモからの荷物を受け取る。今日は他にもネットショップ、本屋からの荷物もあってこんな日に本当ごめんなさいって思った。外に出られない分、誰かが外に出なければならない現実。

お昼は実家から送ってもらった北海道のじゃがいもで、いもの塩煮、バターと塩辛で。思ったより塩っぱくできてしまった。

そして、また郵便局から書留が……。何かと思ったら、以前居酒屋を経営している札幌の友達に送った2万円が戻ってきたのだった。やっぱり受け取れないとのこと。事態が収束したら必ずや札幌に行き、そこで使うことを約束する。

夕飯は、近所の焼き鳥屋に電話注文をして、色んな種類の焼き鳥をテイクアウト。お店には行けないけれど、こんな時、食べたいものを少しでも買って役に立てたらと思った。久しぶりに食べた塩の鶏にんにくは最高に美味かった。

テレビ。何だか最近はどれを見てもすんなり馴染まない、世界とのズレというのだろうか、今こんな平和じゃないよなあという感覚。過去のロケ、その時はお店もやってて、ご飯も食べられて、お風呂も入れたんだよなあーという、もう没落した都市、過去にあった風景を見ているようだ。

さて、届いた本、荻上チキさんの『みらいめがね それでは息がつまるので』を読む。

チキさんっていつでも冷静で頭脳明晰、論理的、ゆえに、どんな人か分からない雰囲気があったけれど、それには訳があったのだなと思った。感情をあえて排除しなければ生きて来られなかったような、激しさの中にいたり、人との距離の0か100かの苦しみや共依存、いじめやデートDV被害者的な側面もあったのだな。だから、あんなにも差別や排除というものに対して真っ向から戦う姿勢を見せているし、多様性を認めることを訴えているんだ。

それは、彼自身が生きやすくなるためでもある。切なさ、心の弱い部分を認めている文章と「評論家」という肩書きの乖離が更に私の心を揺さぶった。

支援者であり当事者。共感しかなかった。そして自分の甘さにまた気づいた。彼のようにはなれなくとも、もっと現実を知ろうとすること、ちゃんと思考し対峙する、立ち向かって、自分なりに活動していくことを心に誓った。

それはそうと、私はiPhone8からAQUOSsense3に機種変して以来、右手の腱鞘炎が治らない。画面が大きくなったのだ。スマホをなるべく触らないようパソコンを使ったりもしているけれど、やっぱりスマホは便利…。この先どうしようかと悩むのだった。しかし、また新たに小さいサイズのスマホを買うのも面倒(AQUOSの支払いすらまだしてない)。片手で操作して痛くならないということが頭から抜けていた。いったん回復して欲しいー。家事にも支障出る。今はテーピングでしのいでいる。

追記:AQUOSsense3はバッテリー大容量というのが最高。夜になっても80%以上保持。災害時とかにはめちゃくちゃ強そう。


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