靄のかかった世界

 8月15日から6泊で実家に帰省した。前半は台風の影響で蒸し暑かったけれど、その後は北海道らしい涼しさだった。それは心地よく冷たい風だ。暑いなと思って窓を開けると、入ってくる風がひんやりしていて少しすると寒くなるくらい。昔からこの風に救われていたんだよなと思い出す。

 私が子供の頃は、30度を超えるような暑さは数日しかなく、海に入れるその日々が嬉しく感じた。当時住んでいた家から徒歩3分ほどで砂浜にたどり着く。ビーチサンダルを脱ぐと足の裏が熱くてジタバタする。そして波打ち際に立って、少しずつ体を慣らして海に入った時の安心感。海水の冷たさにどんどん体が慣れていき少し深いところまで行き、遊んだ。わざと波に流されてみたり、また浜に戻ったり。ほとんどはいとこや友達と一緒だったと思う。親と一緒に海に行った記憶はほとんどない。子供だけで遊び、海にいるもっと年上の高校生や大人たちはいつも優しくしてくれた。貝を採ってきて、浜辺で焼いて食べさせてくれたりもした。

 暑くても海があって、そして夕方になるとひんやりとした風が吹いていた。

 今思い返すとそれは現実世界とは別の靄のかかった世界の出来事のようだ。想像のような夢の中のような。きっとそんな世界で私は生きていたのだと思う。遠い過去になっていくほどにそれはどんどん輪郭が不鮮明になっていき、ほんわりとして、穏やかで、そして手の届かない空間に思える。

 実家に帰って、田んぼや畑の間にある道路を歩いた。車は3台しか通らなかった。歩いている人はいない。風がスーッと通りぬけていき、遠くの山々も見通せる。空が広い。この風景と温度もきっといつか靄のかかった世界になるのかもしれないなと思った。それは私の心を静謐にさせる。まるでリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』の中にいるみたいだ。

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