さよなら生まれ故郷

暑い。毎日言っている。今日はまだマシなほうだ。やっちゃんがお盆休みで家に居るので8時半には起きる。本当は午前中のうちに運転免許証の更新に行くつもりだった。でも起きた瞬間からものすごく怠い。疲れている。

やっちゃんも一緒に出かけようと、今か今かと待っているが私の勢いがつかない。何度も「どうするの?」と聞かれる。考えるのが面倒。そして、シャワーを浴びてしまえば何とかなるかとやっと浴びて髪の毛にドライヤーを当てているときに気づいた。あ、来週、美容室だ…と。それなら髪を切った後に更新に行った方がいいのではないか。1カ月以上経って伸びきった写真より、美容室後シャッキリしている方が今よりはマシだろう…。5年間は見なきゃいけない写真ゆえ、いくらかマシなほうが良い。

今日はやめる。

そして、なんとなくずっと頭が痛く、なんとなくずっとどんより眠い。怠い。

何も出来ない無駄な1日。

やっちゃんが家にいることで、ずっとテレビはつけっぱなし。否応なしに目から耳から入ってくる情報。それは彼にとっては生活音の一つで特に気にならないらしい。そして真剣に見るでもなしに、スマホなんかいじっている。

テレビがつけられて、見させられているのはわたし。頭が余計にガンガンする。

そして、テレビがずーーっとついてるゆえにラジオはつけられず、普段の平日の習慣も崩れてしまう。調子がガタガタと悪くなる。ペースが乱されるというのはこういうことなんだな…。

ふと、ツイッターのタイムラインにわたしの生まれた島の光景が広がった。透き通った海のあの浅いところの色と深いところの濃さ。

あげていたのはYouTuberの男性だった。

わたしが、生まれたところ。15歳まで過ごしたところ。

妙に悲しくなった。

今、仕方なしに東京に住んで働いている。島で一生を過ごしたかったわけではないけれど、なんか、この、自分の今の疲れ、無理した生活、過敏な感覚、自然とすっかり切り離されてしまった日々を冷静に考えると別の人間の人生に思えてくるのだ。

夏には浮き輪をつけたまま家から飛び出して目の前の海にダイブしていたよなあとか。砂浜を犬と散歩した(もちろん首輪もリードもない)こととか。うにも魚も貝も取って食べていた野生味あふれる感じとか。それがとにかく普通で、むしろそれ以外を知らなかった。コンビニもなく、電車にも乗ったことがなかった。わたしはその時代の日常を、ありありと思い浮かべることができる。

大きな本屋もない。ライブハウスもない。映画館もない。

私が今すがっている文化は何一つ無いその場所でわたしは生まれ育った。

YouTuberの人は都会で生まれ育ち、今その自然を目の前にして、うわー!きれい!美味い!!となっている、そこがわたしの狭い世界だった。

なんでかわからない。

いつも故郷の美しさを讃えてくれる人がいて、嬉しく思う一方で、そこでの日々の過酷さを訴えたくなる反発が昔からあった。

わたしは高校入学と同時に故郷を捨てた。なのに、お墓は故郷にある。

わたしが死ぬのを待っている場所。愛憎の念。

わたしは、生まれた場所に最期は帰ることが決まっている。

そのすべての景色、YouTuber、わたしの人生、選択と、でも、本当に自由意志が人間にあるのか、とかまで考え、また疲れて戻るのは、ここで、ここは東京で、東京は暑くて、夏だ。

疲労感。頭痛。

今、なんのしがらみもなく、ただ暮らしたい場所を選んでいいと言われたらわたしはどこに行くのだろう?と考えてやめる。

疲れた。

ことしの夏は、初めて帰省しない。

すこし心が冷たくなった。

船は嫌い。

ただただ目の前の大切なことをこなすことを考えよう。