黒電話のようなシンプルさで

結構体力的にしんどい。雨も酷かった。でも何とか仕事終わり。この疲労感…。本当は前みたいにサウナ寄って帰ったらリフレッシュ、そしてリラックス、できるのだろうなと想像するけれど、どうにも東京はそんなわけにはいかなそうである。今日も新規感染者は60人以上。毎日この調子で。職場は飲み会禁止令が出ていて、そりゃあもちろん飲み会などやらないけど、これはかかったら大変…検査の時のあの不安と憂鬱を味わいたくない。迷惑をかける、ということが1番非難される世の中である。

はー、みんなどうやって感染対策をして色んなところに行っているのだろう。さすがに風呂でマスクはしないだろう。サウナではどうなのか。外食はどうなっているのだろう。全く食べにいかなくなったから、さっぱり分からない。前のようにはいかないだろう。

何だかこの、新しい生活様式と言われる世界に私はまるで溶け込めていなくて、馴染むこともできてなくて、入口で躓いている感じだ。

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そして最近、意外と身近な人に既読無視されると傷ついている自分を発見した。何か気分を害してしまったのだろうか?変なことを言ってしまったか?という心配だったり、自分という存在は無視しても良いくらい、とるに足らないものなのだろうなという「大事にされてない感」を受け取ってしまう。これは、LINEとかいうツールが無い時代には(少なくとも頻繁には)感じた事がなかった気がするから厄介だ。便利と引き換えに不安と傷つきも付いてきた。たぶん、自分なら何かしら必ず返信するから、自分基準で考えてしまっているのかもしれない。雑な性格の人なら、読んで特に言いたいこともなければ返信しなくていいやと思うのかも。こういうところにも過敏な性格が災いしてしまう。勝手にすり減るのはバカバカしいと思いつつ、簡単に切り替えることが出来ない。

できるだけシンプルに暮らしたいな。黒電話のようなシンプルさで生きたい。留守電もないくらいの。着信履歴なんてない。居なければ話せない、話したければ時間を置いてまたかければいいという。不便さに快適さを感じるってきっと疲れているんだろう。都会に疲れて自然を求めて旅をしたくなるみたいなものなんだろう。