コロナかもしれない日記2

6月2日(火)

朝ではない。まだ朝ではなく、今6月2日になったばかり。0:00である。そう。眠れない。試験の前の日です。陽性率1.9%(こないだより上がってる…)の戦いの日。クドカンが最初に「まさか俺が?」とは思ったけど、陽性になって「何で俺が?」と思った話。これ私も絶対思いそう。怖いよー。人と会えなくなる寂しさ。人から気を遣われる居心地の悪さ。ここにはもう、何もなかったことには出来ない取り返しのつかなさがある。喩えるなら刺青のような。烙印のような。

現に37.5℃の熱を帯びたこの身体。寄生されているのだろうか。ヤツに。どんだけ神経使ってきたと思ってんだー!!と、怒りでさらに熱が上がりそう。仕事以外ずっと家に居たのに。その仕事で感染しないわけではないのだが。精神的にも結構な戦いだよなぁ。

何でこんな時に東京に住んでるんだろうってたまに思う。私は人口5000人くらいの島で生まれ育ったんじゃないか。東京なんてテレビの中の、架空世界だったじゃないか。親の口癖は「東京なんて、住む場所じゃない」。小さい頃から聞かされてきたし、知らない人がいっぱいいて無条件に怖い場所だと思っていた。芸能人が住んでいるところ。犯罪者が住んでいるところ。東京のイメージ。(10代前半)

ああすっかり変わってしまった。そこで感染に怯えながら暮らす。それが人生後半の私。

とても心が疲れている。微熱は体力を奪っていくし、心も沈ませる。はい。画面を閉じて眠らないと。明日は試験です。今日か。こういう、ただの苦しさをただただ言葉にしたくて、日記なら許される気がして書いてしまった。弱音。言いたくない。本当は。でも疲れたら自然と出てくる。ごめん。ごめんなさい。

 

寝て起きて、11時からスーさんの「生活は踊る」聞きながら普段の生活を思い出す。

何かもう人生色々あり過ぎたので、こういうことが起きても「またやって来たな」という気分になってきた。それで、いざPCR検査へ。帽子、マスクとメガネと手袋。完全防備で挑む。だって、自分が陰性で、ここで出会う人から感染したら元も子もないもの。

それは、大きな病院の裏、屋外に設置された発熱外来。テントがあり、ドライブスルー検査をしている人、また、私のように歩いて来た人もいる。前の人が終わり、看護師さんとおぼしき人に案内され、よくレントゲンで使うような車に入り、アクリル板越しに書かれた文字を提示されそれに従うようになっている。言葉は発しない。「左をむいてください」の指示。

アクリル板に空いた穴から腕が出てきて、そして私の右鼻奥に長い綿棒みたいのが入れられて、それでぐりぐり鼻水をぬぐって、そして「終わりです」。

30秒もかからなかった気がする。拍子抜けして、外に出て、看護師さんに礼をしてまた駐車場を抜け、歩く。バスやタクシーが通ってるけど、ここは乗るわけにもいかず。具合が悪いわけでも無い。ただ散歩道として以前歩いていた道なのだけど、通行人が多いのでここ数ヶ月歩けずにいた。久しぶりに歩くと汗も出るし、運動不足が解消されるようで気持ちがいい。

イヤホンからきのこ帝国のアルバム「渦になる」が流れてて、本当、いつも辛いときはこのアルバムを聞いてきたなと思う。何年も寄り添ってくれてる。前に働いていた施設の夜勤中、本当何度外に抜け出して聞き続けたか分からないくらい。つらくて、気持ちが荒んで悲しくて、心が痛くて、それをただそのままに許してくれている曲たち。

今はそれよりもつらくはない。でも、先の見通せなさは怖い。

家に帰って、テレビをつけると、東京の今日の感染者数が30人を超えたと速報(のちに34人との報道)。たまたま陽性が出る時期にPCRに辿り着けた人の数だけど。

東京都は「東京アラート」を発動すると。いったいそれは何だろう。もうみんな動きを止めることは出来ないよね。

37.1℃と頭痛。ウィズコロナ、弱い者は置いていかれる。淘汰されていく世界。