下北沢のライブハウス

 下北沢に行った。私が下北と言って最初に思い出すのはライブハウスである。過去に楽しかったのも苦しかったのもその街に結びつく。最近、駅が新しくなって全くあの頃の面影はないのだけれども、さて駅を出て歩いてみると街はそのままだ。マックがある。あの商店街をずっと歩いて少し静かになってきたところにライブハウスはあった。階段を降りて地下に入っていく。

 チケットを渡す。ドリンク代を払う。狭く薄暗いフロアと機材ひしめく舞台。ドリンク。なんとなくお酒。レモンサワー。ここはまだ灰皿がある。最近じゃライブハウスでも禁煙の時代。ロックと健康。それが違和感なく共存している。すっかりそれが当たり前になってしまったことに時の流れを感じる。

 3マンライブ。お目当てのバンド以外にも好きな音を発掘する機会になるこういう感じの身内っぽい発掘っぽいのが私は割と好きだ。一人で観ることにも慣れている。30代くらいの男3ピースに続き、20代前半くらい(もしかしたら10代?それはないか)の男子4人ギターバンドがものすごい疾走感で駆け抜ける。andymoriの小山田くん似の前髪で前見えない系ギターボーカル。MCも熱い。爽やかに勢いのある音楽。見ているだけでスカッとする感じ。

 そしてトリはこのレコ発ライブを企画した女性2、男性2のバンド。以前吉祥寺で他のバンドを観に行っていて偶然見つけた時にピンときたのだけど、やっとじっくり見ることができた。音、歌詞、その背景にバンドマンたちの生活を想像してしまう。聴きながらずっと、暮らしや曲作り、スタジオでの練習や話し合い、ライブ後の反省会、楽屋での対バンの人たちとのやりとりとか、恋人との揉め事、とにかくこのステージに詰まった音楽ができるまでのいろいろだ。

 青く光るステージ。かっこいい演奏、歌。

 私は何でここにいるのだろう。過去に決別したはずの日々をすっかり赦したのだろうか。猛烈に苦しくなる。何を追って、何に救われたくてこうしてまた下北沢のライブハウスになど来ているのだろうか。

 消えていくバンドがあっても、こうしてまたステージに立つ新しいバンドが次々と出てくる。別れを惜しんでも、またちゃんとキラキラと輝きを放つ世代が現れる。みんなギターをかき鳴らして、声を張り上げている。入れ替わっていく。巣立っていく。ライブハウスだけがそれを全部見つめてる。

 私は、ライブハウスそのものになっていて、人が入っては出て行き、また入ってくる過去から今を高揚感と憂鬱と儚さすらをも俯瞰して眺めていた。未来が不安でしかなかった若さの無駄遣いのあの頃の記憶も全部、ああなんかもう、抱えて生きていっていいんだなあって思った。渦中にいない寂しさよりも手放せた開放感があってほっとした。アンコールの曲が終わってすぐ、出口へと向かう。バンド関係者たちが打ち上げの話をしている横をすり抜けて地上に出てまた下北沢駅を目指す。

 もう苦しくなる必要はない。

 私は、2月の夜のキンキンに冷えた空気に晒されながら、急ぎ足で駅に着き、電車に乗って自宅の最寄駅のコンビニで食べたいものを全部買って家に帰った。

f:id:seka1co:20200222132627j:image