喫茶店の窓

1996年札幌、大通公園沿いのどこかの喫茶店。夜、友達と何となく入った。そこで薔薇の紅茶を飲んだことを覚えている。何の話をしたのかも友達と2人だったのかも、そしてその友達が誰だったかもはっきり覚えていない。たぶんあの人かあの人だろうというのは分かるけれど。

 私は自由な気持ちだった。毎日わくわくしていた気さえする。何の根拠もないけれど、根拠のない自信というのが最強な気がする。何かを突破していくにはそういう時期が大事なのではないか。

 お茶を飲みながら気心の知れた、私の人生の流れを知っている、相手の歴史も知っている人と語り合うこと、これは本当に贅沢で楽しい時間だ。外には長く広い公園とビルと赤いテレビ塔

 その約10年後、私はまた札幌に居た。新しく借りたアパートへの道すがら、例えばコールセンターの仕事が早番で終わった時、1人で寄る珈琲屋があった。住宅街にぽつんと建つ、木目調でシックな空間、2階へと上がる階段も木で、一歩進むとギシギシと音を立てて出迎えてくれる。窓際の席に着く。窓の外には大きな木。緑でフサフサとして、風が来るとさわさわと揺れる。その景色をボーッと眺めながらコーヒーをすする。その時間が至福のときであった。あんなに濃い緑色をもうずっと眺めていない気がする。記憶の中でどんどん濃厚になっていくようである。

 ある時はこう。札幌の爽やかな夏、円山のほう。高台、車で急な坂道を登ってたどり着く、そして階段を登り更に上へ。そこにある喫茶。1杯1200円の紅茶。広い窓からは札幌の街が一望できる。少しずつ日が落ちて、街に灯りが照らされて夜景になっていくのを目撃する。こんな場所に、大切な人たちと一緒にいる、この街に住んでいることを誇りに思うような感覚に浸る。でもこの日は街にお別れを言いに来たのだった。 夫の転勤で東京に行くことが決まったのだ。それは2007年夏のことだった。

 札幌には好きな喫茶店があった。その窓からの風景も大好きだった。風景とともに自分の明るく前向きな心持ちを私はいつでも思い出すことができる。