心の修道院

昨日よりずっと暖かくなった。録画しておいた『天使にラブソングを…』を観た。有名すぎる映画だけど、初めて観たと思う、たぶん。すごい。これ素敵。わかりやすいストーリーだけれども、なんかそれが安心で、修道院に関心がある今、ますます楽しめた。たとえば映画館で『ミッドサマー』のような映画を観て相当引きずって、気持ちも引きずられて、たぶん人生のこの時期に傷痕を残す感じになって(けれどこれも勿論褒め言葉)、だけど、それをすっぽり包んでくれるような映画。それもこの先の人生ずっと忘れないと思う。

職場のtさんが仕事終わりに私の住む最寄り駅まで、医療者用の消毒ジェルを持って来てくれる。母が地域食堂のボランティアをやってて、そろそろ再開するというので、送ってあげるためにツテで頼んでおいたやつ。わざわざ届けてくれたので、家にあったチキンラーメンとさっぽろ一番の味噌味ラーメンを持たせる。(一人暮らしの男のため)

帰りにドラッグストアで買い物。なんか、コロナの時期になって無性に日用品を買い物したくなる。これは、いつものが無くなってもいいように、なのか、何か掘り出し物が入荷してないか、なのか、きっと特殊な心理が働いている気がする。いったん物がなくなる体験をしていると、根底に疑心暗鬼みたいなのがあってそれは少し続く気がする。でもなるべく必要でないものを買い込むのはやめよう。

夜はシチューを作った。何かもう毎日料理して、何を作ったらいいか分からなくなって、ただあるもので。

ネットで誹謗中傷受けていた人が自殺をほのめかすツイート等して、亡くなったらしい。わたしは見たことがない番組だけど、そして知らない人だけど、何だか気持ちがざわつく。本当最近は悪口ばかりが目について、SNSが何だか怖いなって思うことが増えた。有名人であれ、誰だって傷つかない人はいない。こんな時代に有名になることは、命がけなんだ。直接声がリアルタイムで届くんだから。

なんかもやもやした気持ちなので、今日もきのこ帝国の昔の曲を聞く。YouTubeのライブ映像で「退屈しのぎ」観てから、こんなに掴まれるライブ、行ってみたかった…と、一度だけ取れたチケットを無にしたことがあったのを後悔する気持ちもある。けどそれは小さなライブハウスではなく、大きなホールでのライブで、今のわたしの求めているのとは少し違ったかもしれない。活動休止してしまい、きっとこの先観ることのない幻なんだけど。いろいろ切ない。その時、その時期、その環境、その心で、ジャストタイミングで出会える瞬間って案外少ないのだ。

明日仕事だと思うとすこし気が重い。大したことしてないんだけど、もっとだらだらしたかった。水曜の夜を楽しみに生きる。

わたしは本も音楽も映画も含めて世俗的なことが大好きだけど、『天使にラブソングを…』の修道院の、ベッドだけのシンプルな部屋を見たときに、あーすこしここで何もかも捨てて、祈り、沈黙し、過ごしたいと思った。私からまるで相反する生活だけど、ある時夢を見てから、私の心の中に修道院が登場して離れない。デロリス(ウーピー・ゴールドバーグ)が相反する生活を送っていたのにその日々に惹かれていく感覚にも繋がっている。