心理相談室

3月12日(金)晴れ

何だか3月11日は書けなかった。あれから10年と、あちこちで見かけても、言葉が出ない。思うことはたくさんあるけれど、わたしの体験なんかを書いても仕方がない。あの頃書いていて、まだ残っているブログにその記録はあるし、それ以降しばらく更新できない気持ちになって、まばらになって、やめた。それまでの呑気な気持ちが消えたのはあの頃だった。

 

今日は通常の仕事の前にスタッフ3人で心理相談室に行った。発達障害自閉症の専門家である臨床心理士の方に会い、Mさんのこれまでの行動を伝えて、そしてアドバイスをいただいた。見解と対応について。今後をどう考えるか。そこの病院の雰囲気が、まるで小説を読んだときに想像するような場所で、長い廊下があって、よく光の入る白く静かな部屋、外にはサワサワと緑が揺れて、アロマや癒しに使うような道具も並んでいて、わたしは、自分がそこに身を委ねたいような気分になった。

支援者側というのは、忍耐の連続で、誰からもケアされない。最終的には疲れ果て心も壊れてみんな辞めていく。そういうのを何度も見て、味わってきた。心が強いとかは関係なくて、結果が出ない日々に折れてしまうのだった。頑張ったぶんの成果、報われる感覚が欲しくなる。でもそんな簡単なものではないから。

わたしは自分自身のケアもしていかなきゃいけないな。

そんなことを思った。

今は地に足がついていないような感覚。そしていつもふらふらしていて、焦燥感と耳鳴りと立ちくらみがする。

案の定というやつ

3月10日(水)晴れ(風)

昨日書いた日記、記憶無し。何書いてんだ、何喋ってんだ。しんどい。

テンション上がった次の日は案の定落ちるというわけで、今日は心が痛い日。仕事自体は昨日と打って変わって平和だった。むしろ平和だからこそ心が忙しくならず、思う存分沈み込んだ。わたしは何を求めて何をやっているんだろう。みんなの言葉が、膜がかかったように遠く感じた。

ふと一昨年の忘年会の時のことを思い出した。みんなが悪ふざけをして大笑いしていて、そこが自分の居場所で、心がちゃんとそこだけに集中していた頃。あの時って楽しかったのかな。とか。今は何だか寂しい。ただ業務に追われて忙しく、語り合う暇もない。

わたしは何もわかっていない。何もできていない。よく許されているよな。

自傷と酔っ払い

3月9日(火)晴れ

大荒れ。頓服リスパダール(利用者)。

自傷を止めようとして噛まれる(軽症)、わたしには手加減してくれてることに感激。優しい。

帰りに多摩川沿いで飲む。チューハイ2缶と日本酒の瓶でぐだぐたに酔っ払らう。

飲まなきゃいられないときもあるのです。これを書いている今もめちゃくちゃ酔っている。でもそうしないと苦しいときもあるのです。

体がガタガタ震える。

いろいろ思うけど、言えない。人生は過酷。だけど続く。ぼろぼろでもとりあえず生きてりゃ何とかなる時期が来るだろう。それが長く続くとは思わないけれど、まあ、騙し騙しいく。大丈夫わたしは何とかやっていくだろう。

寂しい。それは飲んだからで。日々が寂しいわけじゃない。乗り越えていく。そうするしかない。悲しい、でも、乗り換えるしかない。心を強く持って生きて行く。寂しいけれど、けれど、何とかする。大丈夫。何とか折り合いをつけていく。うわあああん。でも、がんばる。つらい、頑張る。

世界に背いて

3月8日(月)雨

ニコさんと立川でランチ。立川で遊ぶなんて日常だったのに、この1年で何回行ったのだろうという感じ。アクリル板越しに話すのが何だかもどかしく、食べてすぐ喫茶店へ移動してゆっくり話した。

一緒に働いていた頃を思い出す。仕事終わりによくお茶を飲みながら、ため息もつきながらあれこれ話したよなぁと。でもあの頃って仕事上の疑問とか不満とかが多くて、実は根本的に大きな問題を抱えていなかったんじゃないかな、なんて思った。さて、では今が深刻かと言われたら、それもよく分からない。

ニコさんから言われたのは、

何で普通になろうとするの、普通に合わせて生きないといけないと思うからつらくなるんじゃないの?

あなたは、こういう人間で、どうにも変わりようがない、他の人(大多数のまともな生き方をしているように見える人)と比べたりせず、自分のまま、好きに生きればいいんじゃない?ということだった。

それしか生き残る術はないと言われた気がした。そうか!と思った。開き直りである。

昨日の夜、気分が落ち込んだかと思ったら、今日は高揚している。そのアップダウンに酔いそうだ。

夕方、やっちゃんと立川で待ち合わせて寿司を食べた。1杯だけお酒を飲む。寿司は美味しかったけれど酒は不味かった。iPhoneが会話を聞いる疑惑について話す。検索もしてないのに話題にしたことがInstagramの広告に出てくることがあるという話。支払いは任せて喫煙所でタバコを吸った。

帰りの電車で隣に座るやっちゃんのスマホの画面が一瞬見えて、とあるアイコンに「え?!」と思った。でも見なかったことにした。それぞれ個人の自由はあって、踏み込めない部分がある。こんな考えになるなんて昔は考えられなかったな。嫉妬深すぎてケータイを折りかけたこともある。極端過ぎる、何もかも。でもまあいいや。できる限りの客観視をするにわたしはヤバいやつだけど、完全に客観視はできないからよく分からず、もうこのわたしで何とかこの生を全うするしかないのだよな。疲れるけどちょっと面白い。何かにずっと背いているようで。それは世間、いやもう、世界だろう。

歩く時

3月7日(日)くもり

気温は昨日から10℃ほど下がる。

午前中は眠気が強く、仕事に行く用意をするまで何度も寝ては起きてを繰り返していた。

女性利用者さんTさんが最近ずっと「寂しい気持ち」と言う。話しているうちにしまいには泣き出す。わかるよ、そういう時あるよね。わかるよ…と、気休めのような本音を言う。

時々、すっかり失ってしまったものや人や事について思う。これから失うだろうことも。

得ているのだけど、失い続けてるから、最後は完全に全部消えて無くなるんだろう。

それでも、今あるもの、関わってくれる人、自分自身の感情とかそういうのをちゃんと大事にしていこうと思う。目をそらさず、見届けるよという気持ち。

何だか少しずつ自分が強い気持ちを持てるようになってきた気がする。とても弱い日もあって沈み込むこともあるのだけど、だいぶ変化してきたように思う。

最近、歩く時いつも下を向いていたことに気づいて、出来るだけ意識して前を向くように心がけている。歩く時の態度は気持ちを表しているようであり、もしかすると歩く時の態度を変えると気持ちも変わるのかもしれないと思ったのだ。

今更

3月6日(土)晴れ、暑い

晴れて風もあって花粉に苦しむ。

土曜は佐々木さんと組むことが多く、このところ毎週だ。チームワークで乗り切ってくうちに同志感が出てきたところで、春から佐々木さんが上司になるかもしれない情報を他の人から聞いた。今更敬語に戻すのも感。その前に向こうはわたしにずっと敬語でした…。

強者の声

3月4日(木)晴れ

昨日、日記を書こうとしたら、脱力しすぎてダメだった。仕事でのここしばらくの緊張感が解けたようなかんじで、9時間くらい連続で眠った。久しぶりの深い眠りだった気がする。日付が変わる前に寝たのも久しぶり。結局、仕事の疲労度がMさん次第というのも何と言うべきか。

今日は美容室に行った。しばらくは肩につくくらいの長さを維持していたのだけど、もう我慢も限界で、しかもオレンジくらい明るい髪色イメージを持って行ったのだけど、仕上がりは落ち着いた色合いになった。そういえばわたしはブリーチがかかりづらい髪だった。

美容師さんは気を遣って、次の休みにでもやり直しに来る?と言ってくれたけれど、それも何だか面倒で、来月にまた色の抜け具合を見て相談するということにした。それでいつもは12000円くらいのところ7000円ちょっとにしてくれた。ずっと若い頃は自分で好きなだけ放置して傷みとか無視で髪を染めていたけれど、今は必ず美容師さんにお願いしている。

今日は、髪を洗ってもらっている間に寝なかった。隣で、大きな声で喋っている中年女性の話し方と内容が気になってしまった。それは、「強者」の声だった。自信のある人の話し方、音で、わたしは縮こまるような気持ちになった。

主婦ばかりの時間帯のバイトをした時のことを思い出す。悪口、陰口、マウントの取り合い、子どもの話、ドラマの話、聞かれたことに答えただけで否定されるあの感じ。そのバイトは3週間持たず辞めた。「今日で終わりなんです」と伝えた時、急に親身になるような態度で「これからいっぱい教えようと思ってたのに〜」と言われたこととか。なんか、あれ、あの全国共通の「パートのおばちゃん」のイメージ、すこし意地悪な。そんなのを想起させる何かがあった。今日の声だけの人。

何かそれで気持ちが暗くなり、セブンイレブンの喫煙所で煙草を吸おうと思ったら、やっぱりおばさんがたむろしてベラベラといっぱい喋ってて、何かわたしもいい年だけど、こういうんじゃ、ない、よな?と、思いたい気持ちになった。何か悲しいのだ。

歳をとることと、図太くなることは違うよな。ずっと繊細でありたいとは思わないし強くなりたいのだけど、こういうことじゃなくて…。ああ、うまく言えない。とにかく、思いのほか堪えた。

自分の大人になれなさ、未熟さ、弱さ(精神的にも社会的にも)を突き付けられるような気持ちになってしまうのだった。