ディープディープリラックスの部屋から

 通院日。過去に精神薬を飲んでいたが肝機能障害を起こし急に辞めたため発症したと思われる歯の食いしばりと不眠。1か月前に処方してもらったロゼレムとメイラックスがとてもよく効いて、すっかり眠れるようになったし、食いしばりによる顎や首の疲れも無くなった。そしてサウナだ。自律神経の働きを良くしてくれるらしい。しかし私の中で、それはもはや治療のためではなく、サウナという快楽のとりこになってしまったと言っていい。できたら毎日行きたい。

 急に君臨した趣味。(私は割とよくある)ただの風呂ではいけない。熱い!冷たい!を繰り返して得られる身体、脳の作用は「ととのい」という言葉では実際には収まりきらない、中毒性すらあるヤバいやつだと思っている。酔いたくて酒を飲むかのように、ととのいたくてサウナに入る。どちらも「心を楽にしたいから」だろう。

 何故そこまで苦しいのか。よく考えてみると私たちは、自分の脳内だけで完結している。あの時ああしていれば良かった。この先いったいどうなるんだ。あの人はこう思ってるんだろう。ここで空気を読まなければ。良い人と思われたい。周囲には人生うまくいって、楽しんでいるかのように見せたい。けれど、私ら自分の脳から自由になれない。そんなこと考えたところで過去はもう目の前には無いし、未来なんて全く分からない。人が何を考えているかなんて皆目見当がつかない。出来るのは勝手な想像だけだ。

 やっぱり自分の脳の中だけで生きてる。苦しむのは自分の脳が苦しいことを考えているからだ。誰かが私の脳を操作しているわけではない。

 それならば、自分の脳内を楽にしたらどうなる?自由にしてみたら?嫌な想像や恨みを忘れてみたら?

 そんなのを瞬間的に実現できるのがサウナなのかもしれないと思った。それはスポーツでも、カラオケでも、酒でもいいだろう。けれど私はサウナの包容力と身体への単純な刺激(熱い寒い)にフィットした。何もしなくても勝手に身体は反応するのだから。都合の良いことに、リラックスしたサウナ後は眠くなる。不眠を抱えていた私の悩みの1つを解消してくれるというのもありがたかった。

 思考法や自分に科す目的に捉われず、ただ単純にサウナ室で汗をかき、水風呂で冷やす、そして外気浴で心身共に開放!!

 やる前はその全てが理解不能だったが(だって物好き過ぎるし、ストイックな人間か、何かの拷問のようにすら思えた。)、体がそこにはまっていくと、精神はすぐに着いてきた。

 心と体は1つなのだ。別々に存在しているかのように考えて複雑化させているのは私たちで、本当はもっとシンプルにアプローチして大切にするだけでいい。それが難しかったし、難しいと思っている人の気持ちも分かる。けれども、本当に自分を信じて身を任せれば簡単なことだ。

 これを書いているのはサウナの女性専用の薄暗い休憩室。それぞれリクライニングチェアーになっていて、私は眠くて半目である。ディープディープリラックス。これからまた温まってから来ようと思う。その前に眠ってしまうかもね。