友達に会った!

ぼんやり曇った日。眠剤をロゼレムからベルソムラに変えてから眠り過ぎる。起きたら10時半。シャワーを浴びて、急いで掃除機をかけ洗濯しつつ、昼食の用意。コロッケとキャベツの千切り、ブロッコリーも茹でる。かぶの梅おかか和え、鶏団子と小松菜のすまし汁。

13時にニコさんが最寄駅に着いた。慌てて家を出て交差点で見つけて手を振った!ものすごく久しぶりに会う感じと、話し出したら昨日も会ってたような気もする時間感覚の不思議さを思う。

この所謂「自粛期間」中、私はうしろシティにハマっていて、ニコさんはタブレット純!お互いマニアックなラジオを聞いている。それを教えあって、星のギガボディみたいに大笑いした。(あの笑い方、私達に似てる!という気づき!)

会えずにいた日々の中で、さまざまな社会問題があり、生活があり、思いが渦巻いて、それを語れなかったこと(LINEするとはいえそこまでびっしりは伝えきれない)、でも、色々感じてた不安とか違和感は一緒だったんだなーと改めて思った。

このコロナ禍において、お互いハンセン病の歴史に思いを馳せていて、ニコさんは『いのちの初夜』/北条民雄 を読んでいるところだった。うーん、さすが、としか言いようがない。そしてTwitterInstagramとの距離の取り方を考えて実践していることに羨望の眼差しである。私は暇さえあれば覗いてしまうし、まったく見ず知らずの人の言葉によって勝手に傷ついたりもしてる。嫌なら見るな、の世界で自分の意思で読んで自傷行為を繰り返している。もちろん励まされることもあれば、面白いことや、可愛いもの、欲しい情報なんかを得られることだってあるのだけど、その倍以上のモヤモヤと嫌な思いを引き受けて、情報過多でいつも脳が休まらないのだ。

少し距離を置いて、自分のための時間を取り戻したいなと再認識した。

とにかく読みたい本が沢山ある。古典なんかを毎日せっせと読んでいた頃は、SNSなんて言葉も存在せず、まあ、Twitterやブログはあったけども、もっと自分のためだけの時間があった気がする。今は常にピリピリと情報を監視してるみたいな気分。そんなふうにして新しい言葉や出来事に神経を尖らせながら古典に入り込むなんて無理過ぎるわけだ。

一気には無理でも意識してこの依存状態から抜け出せるように何とかしよう。スマホなどのゲームに依存するのは、ゲーム障害として病気認定されているけれど、SNSの依存だってそれに近いものがあるんではないかな。

もっといろんなものから自由に生きたい。(これ以上か、と思うけど、自分の生き方は自分で決めていい、はず)

それにしても今日は「おうち時間」って言葉のむず痒さも「自粛期間」の違和感も共有できて良かったな。

ウイルスの得体の知れなさや、不安はまだまだ尽きないけれど、久々に実際に会って大笑いして、気持ちを共有して、免疫力が上がった気分。

8時半くらいに眠くて耐えられなくてパタリと寝たが、また夜中に起き出してこれを書いているという変な感じ。

また寝ます。おやすみなさい。